私たちの想い
「大病を機に農業の道へ」
Q:野菜を扱う仕事はどういうきっかけで始めたのですか?
(信介さん)最初から農業をやっていたわけではなく、もともとはサラリーマンとして仕事をしておりました。今から28年前、大動脈が9割近くも詰まっている急性狭心症と診断され、命の危険にさらされたものの無事に手術を終えることができましたが、お医者様からは、「原因はストレス」と断言されました。ストレスを感じない生活は何かと考えたとき、青空の下で働くことが一番いいと気付き、畑仕事を始めることになりました。
(真由美さん)そのころは三人目の娘の出産が1カ月前に迫っているころでしたが、突然、「今日仕事辞めてきた」と言われて、びっくりしたことを覚えています。
「うまくいかない日々」
Q:農業を始めた当初のことを教えてください。
(信介さん)サラリーマンを退職後、まずは畑仕事の知識習得のために、青果屋さんで5年ほど勉強させていただきました。
(真由美さん)青果屋さんに勤めてちょうど5年後、またも突然、「今日辞めてきた」と告げられ、そこから乗用車を軽トラに変えて、野菜の仲買業を始めました。
(信介さん)仲買業を続けていくうちに自分たちでも野菜を育てたいと思うようになり、ジャガイモやサツマイモなどを育て始めました。しかし、私たちが野菜づくりに力を入れていたころというのは、長崎だけでなく、鹿児島や北海道など日本全国で豊作が続き、綺麗で美味しいジャガイモを作っても売れずに廃棄するしかない状況が続きました。
(真由美さん)1000箱出しても1万円にもならず、収穫されるはずだったジャガイモを廃棄するための掘る経費もないため、トラクターで潰していくしかないという辛い経験をしました。
「応援してくれる方のために」
(信介さん)ジャガイモを作っても作っても廃棄するという悪循環が3年ほど続き、このままでは生活できないと危機感を感じました。打開策を考えているときに、島原で開催された六次産業化セミナーのことを知りました。
(真由美さん)そのころはとにかく必死で、島原や諫早、長崎まであらゆるセミナーに2人で参加し、どうすれば事業が軌道に乗るだろうかと考える日々でした。勉強しているうちに、ジャガイモを茹でてパウチした商品を考案し、その商品が六次産業化の認定を受け、今の「まるゆで野菜」のベースとなるものが完成しました。
(信介さん)今でこそ真空状態にする機械を導入していますが、開発当初は手でクルクルと巻いて真空状態を作ったり、ラベルも自分たちで作っていました。2人合わせて財布に1,000円しかないということもあり、一番下の子はまだ高校生でお小遣いも欲しい年ごろだったと思いますが、子どもたちにも苦労をかけました。
(真由美さん)苦労が続きましたが、諦めたらそこで終わりと必死に続けてきました。うまくいかないときもありましたが、野菜に火を通す方法を提案してくれた知人や、機械を貸してくれた長崎水産試験場さんなど、応援してくれる方々に恵まれて、今のかたちを作り上げることができたと感謝しております。
「ココロとカラダに優しい野菜」
Q:まるゆで野菜のこだわりを教えてください。
(信介さん)まるゆで野菜は添加物を使用しておらず、開けてすぐ食べられる時短食材です。あえて皮を付けたままなので皮に含まれる栄養素もしっかり補え、野菜本来の味を楽しんでほしいと思っています。
(真由美さん)先日、東京の催事でお客様から、「今の時代は自分の時間は自分で作るから、時短料理は手抜きとは言わないですよ」とおっしゃっていただきました。その言葉の通り、私たちは「ココロとカラダに優しい野菜」というコンセプトを掲げています。いつも30分かかっていた料理が、まるゆで野菜を使うことで15分に短縮でき、その短縮できた15分を自分の好きなことに使ってほしいと思っています。そうすることでココロとカラダに余裕ができ、生活も豊かにしてほしいと願っています。
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